疑問に思いませんか。

 風呂に入ると何かしらインスピレーションが浮かぶ。
体と心がリラックスするのか、常に頭で考えているいわゆるエゴの呟きとは違う何となく感じるというやつ。

この話は理解できる人だけが読んでくれれば良いと思うことですから、社会の常識にとらわれている人は、スルーして下さい。-
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 私達が常日頃から、誰もが使っているティッシュペーパーも当然、「紙」トイレットペーパーも「紙」新聞も「紙」。
いたるところに紙が使われている。

でも、ティッシュペーパーは使用後、丸めてゴミ箱へ、トイレットペーパーも水に流す。
新聞は読み終わって翌日になれば新聞紙となって捨てる。
何も考えずに。

しかし、同じ紙である「紙幣」は大切にして、命の次に大事なものとして崇め奉る。

元は「紙」その元は、パルプで木だ。

その違いは何だ?

紙幣には信用というお墨付きがあるから。

私達は何か大きな間違いをしているんじゃないか?

この社会は、お金が無いと生活できないようになっている。
金本位制の時は、金の裏打ちがあったからまだいいようなものの現在は、ただ、「信用」という何の根拠もない裏付けだけで皆がお金を大切なもの、生活の基盤だと思い込んでいるけれど、その「信用」がいつ何時失われるかもしれないとは、誰も思っていない。

あらゆる所でお金に換算した場合は○○円で~、という。
しかし、お金に換算できないものは私達の日常に溢れかえっているように思えてならない。

私達はお金が無いと生きていけないと、
毎日やりたくもない「仕事」と称する作業に人生の大半を費やしている。
私達の人生の時間というものは限られている。

毎日楽しいことを「仕事」としている人は別だけれど、大抵の人は「お金」を稼ぐために「仕事」をしている。
奴隷となって。
人は人生は、奴隷になるために生まれてきたんだろうか・・・。

お金を稼ぐ、大金を手にすると自由になれる。
何でも思い通りになる。
そう信じて疑わない。

でも、本来は楽しく愉快に生きることが目的じゃないのか?
自由に楽しく生きるために必要だから、お金を得たい。

でも、そのお金を稼ぐために貴重な人生の有限な時間の大半を費やして土日の限られた時間だけが楽しみで・・・。
これでは本末転倒ではありませんか。

この社会構造がおかしいのか、私の考えがおかしいのか。
皆疑問に思わないんでしょうか・・・。